はじめまして!
はなくろです!
本日はこのブログに訪れてくださり、どうもありがとうございます!
「仕事も家事、育児も全部やらなきゃいけない…。もう限界。」
そんなふうに、思ったことはありませんか?
私は、小学生の凸凹くんと2人暮らしのシングルマザー。
「もっと自由に子どもと向き合う時間を確保しながら働ける方法はないか?」
そう思いながら、現実に追われる日々。
けれど、フルタイムで働くシングルマザーにとって、働く方法を探す時間も子どもと向き合う時間も圧倒的に足りませんでした。
「仕事は大切。でも、子どもと過ごす時間ももっと大事にしたい!」
私は、
「在宅ワークで生き抜く道」を探し始めました。
私の目標は
1年後に月収40万円、2年後に月収100万円を達成し、在宅ワークで独立すること!
私の背中をみて、子どもにも「生き抜く力」を伝えること!
手あたり次第に動きました。
まずは、「資格をとれば安定して収入を得られるはず」と思い、社会福祉士・精神保健福祉士・ケアマネジャーなどの資格を取得しました。
つづいて、「起業すれば時間の自由が手に入るはず」と思い、個人起業家からビジネスを学びました。
でも、どちらも思うように収益につながらず、悩む日々が続きました。
そこで気づいたのが、マーケティングの重要性。
ただ「いい商品を作る」「資格を活かす」だけでは、お客様は来ません。
「どう届けるか」こそが、収益の鍵になる!
だから私は、「営業しなくても価値が伝わる仕組み」を学ぶために、Webマーケティングに挑戦することを決めました。
このブログでは、
「シングルマザーが在宅ワークで収入を得るまでの挑戦」を記録していきます。
「おうちで働きたい!」
そう思うあなたのために、
一歩踏み出す勇気と選択肢を広げるヒント
をお届けします。
基本情報
名前:はなくろ
性別:女
生年月日:1984年
職業:看護師
好きな食べ物:グラタン、あっさりラーメン、豆乳ラテ
趣味:ぼうっとすること、お出かけすること、読書
好きな漫画:スラムダンク
好きな名言:雨にも負けず風にも負けず
好きな色:緑
私の人生のバックボーン

献身的な幼少期:支えることが当たり前
山で囲まれた田舎で生まれ育ちました。
その日食べるのに困るほど経済的に厳しい家庭でしたが、たくさんの愛情を受けながら苦労人の両親に育てて貰いました。
母は妊娠中に交通事故に遭い、体調を崩して育児ができない状況が続きました。
私は小さいながらに心の中でこう思っていたのです。
迷惑はかけられないし甘えてはいけない。
周りを優先したら喜んでもらえる
その想いが根っこのように張りつめて
「人を支えること」が息を吸うように当たり前になっていました。
そう思って生きてきた私は、自分の本当の気持ちに蓋をする『いい子ちゃん』を演じるようになりました。
次第に「自分の気持ちを押し殺す」クセが板につくようになりました。
不器用な中・高時代:場違いを感じて心を押し殺す
吹奏楽部に入りフルートに出逢った私は
音楽が唯一の心の支えになりました。
私は自分の想いや気持ちを上手く言葉で表現するのが苦手だったから
音楽で表現することで心のモヤモヤを解消していました。
少しでも勉強を頑張れば、きっと将来の幅が広がるはず!
苦労する両親をみていた私は、将来に困らないように
普通科の進学校を選択しました。
プライドが高く人を見下すような空気の漂う優等生たちも多く
勉強できるからって何?
周囲との価値観のギャップに悩み苦しくなりました。
「自分の本音を言わない方が楽」と思うあまり
友人へも遠慮して周りの雰囲気を壊さないように表面上はニコニコ過ごします。
心の私は、どんどん自分の殻に閉じこもり周りに助けを求めずに自己解決するようになりました。
今振り返ると若く未熟だったと思います。当時の私に、周りの意見や価値観を受けいれられる度量があったならば、人生はまた変わっていたなぁと思います。
生きる道を見失った大学時代
「誰かの力になりたい」
「手に職をつけたい」
その思いで私は看護の道を選びました。
満ち溢れる希望に胸を躍らせていた私に待ち受けていたのは
学生時代に解決せずに突き進んだ心の闇でした。
自分の気持ちに蓋をする習慣を続けたことで
自分の気持ちが自分でも分からなくなっていたのです。
そして、人生の迷子になりました。
次第に周りとのギャップを感じて心も苦しくなり枯れはてていきました。
紙一重:挫折と気付き
心も体も頭の中もぎりぎりの状態で受けた国家資格は不合格。
このままではいけないという思いで
翌年に再挑戦し晴れて看護師として働き始めました。
働き始めると、自分の特性による壁に何度もぶつかりました。
・情報整理が苦手で要領が悪い
・忘れやすい自分をカバーするために、人の何倍も努力するしかなかった
・うまく言葉で表現するのが苦手で誤解されることも多く自己嫌悪に陥ることも
それでも、患者さんから「ありがとう」と言われるたびに、
「誰かの役に立てる喜び」を感じていました。
「苦手があっても、一生懸命心を込めれば誰かの力になれる」
看護師は天職だと感じ
体はボロボロでも心は満たされる日々を送っていました。
在宅ワークを選んだ理由

転機:デスクワークとの出逢い
そんな私の人生を大きく変えたのは交通事故でした。
治療や弁護士とのやりとりなどが立て続いて疲労困憊状態。
コルセットをしながら職場では気を遣いながらの勤務。
とうとう無理がたたり倒れました。
その結果、手の障害が残り障害者手帳を取得しました。
看護師業務にも支障が生じたため、デスクワークができる配置へ異動。
それは抗う事ができない
デスクワークとの強制的な出逢いでした。
看護師として働き続けられる?
将来に不安を抱えて押しつぶされそうになりました。
離婚:自分の価値を否定した代償
手の不自由により、障害者手帳を取得し「障害者」になった私は
できない現実を指折り数えてはため息をつき
周りの同期の活躍も素直に喜べず
みじめな思いで胸がいっぱいになりました。
そんな時、寂しさや不安から逃れるように
そのころ出逢った夫と結婚を決めました。
自分の本心に蓋をして自己解決し最悪の決断をしてしまう
私の悪いクセが出ていました。
息子が私のお腹にいる時から
夫との関係で小さな違和感が増えていきました。
・小さな違和感は積み重なって膨れ上がり
・子どもより自分ファーストの夫との間に溝が生じて
私は離婚を決意しました。
そこから私は、
同じ過ちは二度と繰り返さないと
誓います。
自分の本心に蓋をして楽な道を選ぶが故に
悪い方向に進んでいた。
だから、
自分の気持ちに蓋をすることをやめる
そう決断しました。
子どもとの時間が欲しい
子どもに寂しい思いはさせたくない
仕事も子育ても
周りからの温かいサポートを受けながら
無我夢中で向き合いました。
シングルというだけで、冷ややかな視線を感じて惨めな思いになりました。
少しずつ、仕事との両立に限界を感じることが増えていきました。
そんな時に、息子の凸凹特性が分かり
保育園や療育施設、相談機関との連携が必要になったことで
もっと自由に時間を使える働き方が必要だ。家にいながら必要な時に必要なサポートができる働き方がしたい。
強く思うようになりました。
「家で稼ぐ力が必要だ」
そう決意してから、在宅ワークで働く道を模索し始めました。
人生を変える決断
最初は、資格取得や起業にも挑戦しました。
でも、「資格があっても収益化できなければ意味がない」ことに気付き、
確実に収益につながる「Webマーケティング」を学ぶ決意をしました。
このブログでは、私が実際に学び、挑戦していることをすべて公開していきます。
「子どもとの時間を大切にしながら、確実に収入を得る方法」を知りたいあなたのヒントになれば嬉しいです。
最後に
資格を取ったのに稼げなかった
起業を目指して学んだけど、収益化が難しかった
でも、もう一度挑戦したい!
過去の学びを活かし、
「確実に収益化するスキルを身につける」ことを決意した私。
これから1年で「在宅ワークで月収40万円」を実現することを目指します。
「在宅ワークで生き抜く!」
同じように悩むシングルマザーのあなたへ
突破口になれば嬉しいです!
ここまで読んでくれたあなたへ。
「やっぱり無理かも…」 そんなふうに思ったこと、ありませんか?
私も、何度も何度も諦めかけました。
でも、私は今、少しずつ前に進んでいます。
小さなできたの積み重ねが
「私でもできるかも」に繋がる瞬間があったから。
だから、あなたにも伝えたい。
たった一歩でもいい。
まずは、「できるかも」と思うことから始めてみませんか?
「あなたの突破口」が見つかるきっかけになれたら嬉しいです。